「まだ元気やけん、その話はせんでよか」。実家の今後をどうするかという話を持ち出したとき、親御さんからこう返されて、そこで止まってしまう。ご相談を受けていると、本当によく聞く場面です。
ただ、この会話には少しすれ違いがあります。子ども側は「そろそろ売る話をしないと」と思われがちですが、親が元気なうちにやっておきたいことは、売る・売らないの決断ではありません。売ると決めたときに必要になる情報を、いまのうちに集めておくことです。
私たちは不動産会社です。だからこそ、実家を売る段になって何が足りなくて止まるのかを、何度も見てきました。足りなくなるのはお金でも書類でもなく、たいていは「親にしか答えられなかった情報」です。この記事では、その情報を先に確保するための5つを整理します。
実家の情報の半分は、登記簿ではなく親の頭の中にある
実家の情報は、書類の側と記憶の側に分かれています。書類の側にあるものは、あとからでも取り寄せられます。誰の名義になっているか、抵当権が残ったままになっていないか、土地の形はどうなっているか。これらは法務局で登記事項証明書や地図・図面証明書を請求すれば分かります。
問題は、記憶の側にしかないもののほうです。境界の杭がどこにあるか。隣の家との間に、書面になっていない口約束がないか。前の道は私道か公道か、私道なら誰の持分か。増築したのはいつで、どの部分か。庭に古い井戸や浄化槽が埋まっていないか。庭木は隣地に越境していないか。
こうしたことは登記簿に書かれていません。にもかかわらず、いざ売るとなると買主から確認されることがほとんどです。そして親が答えられなくなった時点で、調べ直すしか方法がなくなります。調べ直せるものもありますが、隣家との昔の取り決めのように、当事者の記憶が消えると復元できないものもあります。
「親が元気なうちに」の本当の意味は、気持ちの整理ができるうちに、ではありません。情報を持っている人が、まだ話せるうちに、ということです。
もうひとつの理由:本人でないと動かせない手続きがある
情報の話に加えて、制度の側にも「本人しか動かせない」という区切りがあります。ここが、この記事でいちばんお伝えしたい点です。
境界をはっきりさせる手続きは、登記名義人か相続人しか申請できない
隣地との境目があいまいなまま何十年も過ぎている土地は、珍しくありません。法務省の筆界特定制度は、こうした場合に、筆界特定登記官が調査のうえで、もともとあった土地の境目(筆界)を明らかにする制度です。裁判をせずに公的な判断が得られる点が特色とされています。
2026年9月1日に確認した時点で、法務省のページには、申請ができるのは「土地の所有者として登記されている人やその相続人など」と書かれています。つまり、親が名義人であるかぎり、子が思い立って先に進めることはできません。親が元気なうちであれば親自身が申請でき、亡くなったあとは相続人が申請することになりますが、そのときには相続人が複数になっていて、話がひとつ増えます。
同ページによれば、申請先は対象の土地を管轄する法務局または地方法務局、手数料は土地の価格によって決まり、申請人の土地と隣の土地の価格の合計が4,000万円である場合の申請手数料は8,000円と例示されています。手続きの中で測量が必要になり、その費用を負担することもあるとされています。なお、筆界特定は所有権がどこまであるかを特定するものではなく、結果に納得できないときは後から裁判で争うこともできる、とも書かれています。金額や運用は変わることがありますので、実際に検討される際は管轄の法務局でご確認ください。
遺言書を法務局に預ける手続きも、本人が行くしかない
自筆で書いた遺言書を法務局に預けられる制度があります。法務省の遺言者の手続のページを2026年9月1日に確認したところ、保管の申請ができるのは遺言者本人のみで、代理人による申請も郵送による申請もできないと明記されています。手続きには予約が必要で、当日は本人が来庁し、顔写真付きの身分証明書を持参することとされています。手数料は遺言書1通につき3,900円で、収入印紙で納めます。
実家の話として見落としやすいのが、預ける先の選び方です。同ページには、保管の申請は「遺言者の住所地」「遺言者の本籍地」「遺言者が所有する不動産の所在地」を管轄する遺言書保管所から選んで行う、とあります。実家の所在地を管轄する保管所を選ぶこともできるわけです。ただし2通目以降は最初に申請した保管所にしか申請できないともあるので、最初の選び方が効いてきます。
この制度は遺言書を預かる仕組みであって、内容の相談に応じるものではありません。同ページにも、遺言の内容について不明な点は弁護士等の法律の専門家にあらかじめ相談するように、遺言書保管所では内容に関する相談には応じられない、と書かれています。私たちも不動産の会社ですので、遺言の中身についての判断はお答えできません。そこは弁護士や司法書士にご相談ください。
正直なところ、生前に動くのは得ばかりではありません
「早く動いたほうがいい」とだけ言うのは不誠実だと思うので、正直に3点お伝えします。
得をすること。 境界も、私道の持分も、増改築の経緯も、親に一度聞けば済みます。あとから資料をたどると時間も費用もかかりますし、たどりきれないこともあります。
やりにくいこと。 親からすれば、自分がいなくなったあとの話です。切り出し方によっては「もう死ぬ話か」と受け取られます。売る話から入ると、身構えられることが少なくありません。
意外と揉めること。 子が複数いる場合、一人だけが動くと「勝手に進めている」と見られることがあります。実家の話は、進め方そのものがきょうだい間の火種になりやすい面があります。
この3つを踏まえると、最初に持ち出すのは売却の話ではないほうがよさそうです。「境界の杭ってどこにあると?」くらいの、事実を聞く質問から入るほうが、実際には話が進みます。
それでも先送りになる、3つの理由
先送りの理由は「忙しいから」ではないことがほとんどです。もっと具体的な詰まりが3つあります。
ひとつめは、親の側に「まだ自分の家だ」という当然の感覚があること。子が先回りして動くほど、押し切られるように感じられます。
ふたつめは、きょうだいのあいだで、誰が親に切り出すかが決まっていないこと。近くに住む人ほど負担が偏り、遠方の人ほど口を出しにくくなります。
みっつめは、相談先が分かれていること。境界は土地家屋調査士、名義は司法書士、税金は税理士、家の値段は不動産会社。窓口がばらばらなので、どこから電話すればいいのか分からず、結局どこにもかけない。
どれも段取りの問題です。だから、次の5つのように「やることの形」にしてしまうと動きやすくなります。
親が元気なうちにできる実家対策5つ
1. 名義と登記の現状を、書類で確かめる
まず、いまの登記がどうなっているかを紙で見ます。祖父母の名義のままになっていた、というのは実際にあります。法務局の登記事項証明書・地図・図面証明書の取得案内によれば、土地・建物の登記事項証明書、地図証明書、地積測量図等の図面証明書は、窓口のほかオンラインでも交付請求ができます。
2026年9月1日に確認した法務局のオンライン請求の案内には、登記所の窓口で登記事項証明書の交付を請求する場合の手数料は600円、オンライン請求で郵送受取なら520円、登記所や法務局証明サービスセンターでの受取なら490円と書かれています。窓口の業務取扱時間は平日の午前8時30分から午後5時15分まで、オンラインの請求は平日の午前8時30分から午後9時まで受け付けられるともあります。手数料や取扱時間は変わることがありますので、請求される時点で最新をご確認ください。
2. 境界と隣地との関係を、親の口から聞いて書き残す
杭の位置、ブロック塀はどちらの持ち物か、庭木や屋根の越境、隣家との昔の取り決め。売るときによく出てくる論点です。難しく考えず、実家に帰ったときにスマートフォンで敷地の四隅を撮っておくだけでも違います。境目そのものに争いがありそうなら、先ほどの筆界特定制度のように、親が名義人のうちにしか本人申請できない手続きがあることを頭に入れておいてください。
3. 建物の書類の在りかを、一か所にまとめる
建築時の確認済証・検査済証、間取り図、増改築やリフォームの契約書、シロアリや雨漏りの修繕履歴、給湯器や浄化槽の情報。これらは家の状態を説明する材料になります。中身を読み込む必要はありません。どこにあるかが分かっていれば十分です。見つからないものは「見つからない」と記録しておくと、それも情報になります。
4. 親自身の意思を、形が残る方法にしておく
「この家は長男に」と口で言われていても、あとから証明できません。形の残し方には複数の選択肢があり、そのひとつが先ほどの遺言書保管制度です。どの方法が合うかは家庭の事情によりますので、弁護士・司法書士などの専門家にご相談ください。
5. きょうだいのあいだで「窓口になる人」を先に決める
決定権を渡すという意味ではありません。連絡と記録の担当を決める、というだけです。誰が親に聞き、聞いた内容を全員に共有するか。ここが決まっていないと、同じ話を何度もして、そのたびに温度差が生まれます。
実家のおおよその値段は、自分で調べられます
売るかどうかを決める前でも、水準を知っておくと会話が具体的になります。次の3つで、だいたいの見当はつきます。
| 調べ方 | 分かること | いつやるか |
|---|---|---|
| 国土交通省の不動産情報ライブラリ | 実際の取引価格や地価公示を地図から確認できる | 最初に |
| 不動産ポータルサイトの売出中の物件 | いま売りに出ている価格の感覚 | 次に |
| 固定資産税の納税通知書 | 地番・家屋番号と評価の目安 | 親に見せてもらう |
1つめの不動産情報ライブラリは国土交通省が公開しているもので、地図から近所の水準を確かめられます。2つめは売出価格なので成約価格とは違いますが、感覚をつかむには十分です。3つめの納税通知書は、地番や家屋番号を確認するのにも役立ちます。毎年届くものなので、帰省の折に見せてもらってください。
窓口と公的サイトのリンク
実際に手続きに進むときの入り口をまとめます。いずれも2026年9月1日に開けることを確認しています。
- 法務局「管轄のご案内」…実家の所在地を管轄する登記所を探せます
- 福岡県内なら「福岡法務局の支局・出張所一覧」
- 法務局「登記事項証明書・地図・図面証明書を取得したい方」
- 法務省「筆界特定制度」
- 法務省「自筆証書遺言書保管制度・遺言者の手続」
- 国土交通省「全国の空き家バンクのリンク集」…実家が空き家になりそうなときに
空き家に関する補助や支援の制度は市町村ごとに異なり、年度によって内容が変わります。実家のある市町村の窓口で、最新の内容をご確認ください。
まず何から手をつけるか、3つ
5つを一度にやろうとすると重いので、最初の3つだけ挙げます。
- 登記事項証明書を1通取る。 名義が想像どおりかを確かめるだけです。親に断らなくても始められます。
- 次の帰省で、敷地の四隅を写真に撮る。 ついでに「この杭、いつからあると?」と聞いてみてください。売る話にはなりません。
- 荷物が残ったままで、家の目安を聞いてみる。 片づけも決断も済んでいない段階でかまいません。むしろ、その段階のほうが選択肢が多く残っています。
まとめ
親が元気なうちにやっておくことは、実家を売る準備ではありません。売ると決めたときに必要になる情報を、答えられる人がいるうちに集めておくことです。
そして、境界をはっきりさせる筆界特定の申請や、遺言書を法務局に預ける手続きのように、名義人本人でなければ動かせないものがあります。ここだけは、あとから取り返しがつきません。
売るかどうかは、まだ決めなくて大丈夫です。決めていない段階のご相談のほうが、私たちとしてもお伝えできることが多くあります。
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